第九夜







啓介からの文を受け取って、一体どれぐらいの月日が経ったのか。
気がつけば冬を越し、花見の季節を過ぎ、そして再び秋の長雨に入ろうとしていた。




あの日から啓介は本当に見世にも顔を出さなくなった。
新造達は拓海に「どうして啓介様は会いにこないのか」と問いかけたが、拓海は静かに笑っただけでその理由を述べようとはしなかった。

その静かな、どこか寂しげな笑みに新造達もそれ以上は何も言えず、いつしか啓介の話題は彼らの間ではのぼらなくなっていた。


しかし、人の噂は伝わるのが早い。



高橋屋の次男坊が秋葉の元に現れなくなったという噂は瞬く間に広がった。


拓海の常連客達も、拓海と酒を酌み交わしつつその話を探ろうとするが、拓海は相変わらず頑なに口を閉ざし何も言わずにいると大抵の客は諦めていた。









「では本当に――高橋屋の次男坊は顔を出さなくなったのかね」

嵐が近いらしく、雨は降っていなくても風がごうごうと吹き荒れる中訪れた男は、拓海から酌を受けながらそう問いかける。その言葉に、拓海は小さく笑って肯定した。

もう何度となく繰り返されたこの質問に、拓海は笑みを浮かべる事で肯定していたのだった。

「はい…………」
「ふん………まぁあの次男坊もまだ若い。金もないだろうから、そうそうこんな座敷持ちの色子の元へなど通えない事に気がついたんだろう」

鼻で笑いながらそう言い放つ男の言葉を、拓海は仕事用の笑みを顔に貼り付けながら黙っていた。すると、男はお猪口を置き、拓海に近寄り手を取って握りしめる。

「私なら……秋葉を身請けするだけの余裕がある。お前の親も安心して暮らせるだけの施しもしてやろう」
―――廉次郎様……その話は、もう、」
「……それとも。惚れたか?あの高橋屋の次男坊に――――

拓海の拒否に畳み掛けるように男が言葉を続ける。一瞬、拓海はぐっと息を飲んで、それからゆるゆると頭を振った。

「いいえ。私はどなたにも惚れてなどおりませぬ…………」
「それなら、私の話を受けても良さそうだがな」
「……私は、ここで生きていくと決めております。どなたの施しも受けるつもりはさらさらございませぬ」
「潔いくらいだな。まぁ、私はそこも気に入っているのだが―――――

そう言い、男はぐっと手を引き拓海の体を引き寄せた。腕の中に倒れこむ拓海の顎を掬い、その瞳をじっと覗き込んだ。

拓海は目を逸らしもせず男を見上げる。その瞳の奥に宿る灯りに誘われるように、男はそっと唇を重ね、柔らかなそれを啄む。拓海がそっと唇を開けるとそれを合図に男の舌がぬるりと割り込んできた。

「ンッ…………」

歯列をなぞり、舌を迎え入れる拓海の口腔内を、男は音をたてて荒らし始める。何度も舌を吸われ、歯裏をなぞられていくうちに、拓海の体はくたりと男に預けてしまっていた。
男はその体を支え、夜具の上へと拓海を横たえて首筋へと舌を這わせだした。

「あ、ン………」
「…………そうやって抱かれる時、誰を考えている?」
「え………ぁ、うっ―――――…」

その言葉に聞き返そうとする拓海の首筋に強く吸いつき、男は赤く染まったそこを舐め上げる。

「な、にを…………ァッ、は………」
「以前より……さらに体がいい反応するようになったからな―――それも、あきらかにあの男がここへ来てからだ」
「そ、な事、ございま、………あ、」
「それがあるんだ。………秋葉自身は気がつかないだけで」

妬けるな。耳元でそう囁くと男は着物の合わせから手を差し入れ、すでに固く尖りだしている突起を指先で摘むと、拓海の体はビクリっと大きく跳ねた。気がつけば、その先の愛撫を期待するかのようにゆるゆると足を広げ、白い腿があらわになる。




それを合図に男は拓海の体に愛撫を加え始めた。





「………やはり、前とは違うな……」

欲を吐き出し、うつ伏せで荒く息を吐き出し続ける拓海の背中に、男は口づけながらそう呟く。その唇の動きに敏感に反応する拓海は、見えないように自身の唇を噛みしめていた。


男の言葉は間違っていない、と拓海は内心思っていたからだ。
啓介に抱かれてから、この体は以前よりも淫らに火が点くようになってしまっていた。



啓介が自分に口づけ、触れて撫でて咥えて、拓海の体の奥を暴くように入り込んできて。



それを思い出すだけで、体のほてりはいっそう増してしまう。


「…………こうなると、ますますそなたを手放したくなくなる」
「………………」
「もう一度、良く考えるがいい。私はあの男よりも、そなたを請け負うだけの力はあるからな」

そう拓海に低く囁いて、男は起き上がり着物を羽織って煙管に火をいれて吸いだす。その匂いに拓海はそのままぼんやりと啓介の面影を思い出していた。


何故か、今とても啓介に会いたかった。


涼介を通じて受け取った啓介からの手紙は、一人の時にこっそりと取り出しては何度も何度も繰り返し読んでいたので、少しよれ始めている。
その文にはもう如月屋へ赴く事はできなくなってしまった旨が記され、最後にそれでも己を信じてくれと書いてあっただけだった。
それを読み、拓海はすこしだけ啓介を信じてみようか、と思った。
今まではごく一部の人間以外には心など開いた事もなかったが、あの笑顔と、まっすぐに自分を見つめる眼差しが拓海にそんな気持ちを抱かせた。



だが時の流れは、人の心を脆くしていく。
それきり姿を見せないでいた啓介への思いは、季節の移り変わりとともに、水が不足して萎れた花のように項垂れそうになっていた。



それでもその手紙を持てば瞬く間に体のほてりが増し、その字を読めば途端にあの笑顔が鮮やかに脳裏に蘇る。



啓介の姿を見る事は出来なくなってしまったが、、それでも彼の存在は、彼からの手紙は今の拓海にとって、ただ一つのより所になりつつあったのだ。






―――――秋葉」

ぼんやり意識を飛ばしていた拓海は、男が煙管を吸い終えていつの間にかこっちを見ていた事に気がつかなかった。

「………何でしょう――――?」
「今、巷で一つの噂が出回っているのを知ってるか?」
「噂、ですか…………」

気だるげに体を起こし、肌蹴た着物を肩にかけつつ拓海が首を傾げると、男はふっと笑みを浮かべた。
しかし、次に男の紡ぎだした言葉は、拓海の心を冷やさせるのには十分だった。







――――――そのお前が想う、高橋屋の次男坊が嫁を取るという噂だ」







外ではゴウ、という強い風とともに雨が降り出したのか、パタパタと屋根を叩く音が聞こえてきた。





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