第七夜
それからというもの、啓介は十日に一度くらいの割合で拓海の元を訪れてはその体を狂おしく抱いていた。
他の男達が『秋葉』に堕ちていくように、啓介もまた、拓海に溺れていった。
そして何度か体を重ねるうちに、啓介はもっともっと『秋葉』の事を知りたくてたまらなくなっていた。
しかし色子はあまり自分の事は喋ろうとしない。
元々は殆どが親の借金の為に体を売り、色子になった者がほとんどである。
『秋葉』も例に漏れず、自分の事はかたくなに口を閉ざしたままだった。
少しでも身上に触れた話題になると、すぐにはぐらかし、または無言となってしまうから、啓介もそれ以上の事は聞けないでいた。
それでも、『秋葉』をもっと知りたいと思うのはいけない事なのだろうか。
会って、抱くだけでは満たされない何かが、啓介の心の中へと少しずつ積もり始めていた。
もっと『秋葉』を知りたい。
もっと『秋葉』に触れていたい。
もっと『秋葉』に己を見てもらいたい。
そして――――もう、他の男にはその身を委ねないで欲しかった。
やがて季節が秋の長雨を迎える頃には、啓介は『秋葉』に対して、戻れないほどまでの想いを抱くようになっていたのだった。
「いらっしゃいませ……お待ちしておりました」
雨がしとしとと降り続く夜。
その日も如月屋に赴いて、先に部屋で酒を飲んでいた啓介が顔を上げると、相変わらず綺麗に髪を結い上げ、質のよい着物を纏った秋葉が三つ指をついて襖の向こうで頭を下げていた。
「おう……相変わらず雨ばっかりだな」
啓介はにこっと笑うと、コイコイと手招きをする。秋葉も小さく笑うと立ち上がり啓介の隣に座ると、入れ違いで新造達が頭を下げて出て行った。しばらく二人はそのまま静かに酒を酌み交わしていた。
ふと啓介は、お猪口を持つ自分の手に軽くぶつかった、秋葉の手の熱さに気がつく。
「おい……秋葉、もう酔っ払っちまったのか」
熱くねぇ?と言いつつお猪口を置いた啓介は、秋葉の表情を見てはっとした。
いつもは白い頬が、今夜は少し上気している。目も潤んでいて、思わずそっと手で触るといつもよりもあたたかい。
それでも秋葉はふるふると頭を振ると、頬に触れる啓介の手にそっと手を添えた。
「いえ……大丈夫です…少し、熱い、くらいですから――――」
「よくねぇよ…………風邪引いたんじゃないのか?」
最近雨ばっかりだからな、と言って、啓介は膳をどかし、秋葉の手を引いて寝具の敷かれている部屋へと連れて行く。そして大丈夫だと言い張る秋葉の髪をほどき、帯を緩めて楽にしてやって横たわらせた。秋葉が大人しく従うのを確認して自分は窓辺に寄りかかり、煙管に火を入れて吸い始めた。
「………申し訳…ございません――――」
片膝を立て煙管を吸っていた啓介は、申し訳なさそうな秋葉の言葉に「いいってことよ」と笑った。それから笑みを消し、少し表情を引き締めた。
「お前――――こんなになるまで気がつかなかったのか?」
「………昨日、くらいから……少し調子が悪いとは思ってたんですが……」
「………それでも、客は取ったのか?」
「はい――――」
小さく頷く秋葉に、啓介ははぁ………とため息をついて、灰を灰吹きに落した。
「………んな、具合悪けりゃ客なんか取らねぇで、医者に見てもらえば良かっただろうが――――」
「―――医者になんぞかかったら、どれだけのお金が必要か。ご存知ないからそうおっしゃるんです」
小さく、でもはっきりとそう紡がれた秋葉の言葉に、啓介はハッとした。
この時代、医者にかかれるのは裕福な一部の人間だけだ。
金のない者はただひたすら自分ひとりで病と闘わなければならなかった。啓介はふと、秋葉と自分との間に薄く、でも越えられない壁が立ちはだかるのを感じた。
また、『秋葉』が遠ざかってしまった。
体はそこにあるのに、心にはいつまで経っても届く事がないのが悔しい。
どうしたら、自分はその頑なに閉ざした心の中に入る事が出来るのだろうか。
啓介の手がぐっと拳を作る。
「―――――なぁ」
煙管を置き、啓介は秋葉に向かって胡坐をかいた。そのいつもとは様子の違う啓介に、拓海は熱で少し潤んでいる瞳で見上げた。
「…………はい?」
「俺…………いずれは秋葉を、身請けしたいと思っている」
二人の間には雨どいからポタポタと垂れ落ちる、雨音だけが響いた。
「…………な……、」
秋葉は何も言えずに目を見張り、啓介へと視線を向けたままだった。啓介は真っ直ぐ逸らさずに、そんな秋葉を射抜くように見つめ返す。
「そりゃ……俺はまだこんな若造だし、今すぐって訳にゃいかねぇけどさ………いつか、身辺が整ったら秋葉を請け出し(身代金を払って商売から身を引かせる)たいって、ずっと思っていた」
「啓介、さま…………」
そこまで言うと、啓介は再び煙管を手にして、丸めた刻み煙草を詰め、火を入れて吸いだす。
秋葉の答えを待つ間が、やたらと長く感じられた。
しばらくの間を空けたあと、秋葉はふぅっ……とため息を一つついて天井を見上げた。
「…………お断り、いたします」
「…………もう、誰か決めた奴がいるのか?」
「いえ―――――」
「なら、考えてくんねぇかな………俺、本気なんだ」
「おやめになったほうが、よろしいかと存じます」
啓介の必死な言葉を、秋葉は小さく、でもはっきりと拒絶する。
啓介はその言葉に煙管を置き、横たわる秋葉の枕元ににじり寄って見下ろした。
ぼんやりと熱に浮かされたような秋葉は、それでも啓介と視線を合わそうとしなかった。
「――――啓介様は、まだお若いですし…ほんの一瞬の迷いでそんな事をおっしゃってはなりませぬ」
「っ………迷いって何だよ!言っただろ、俺は本気だって――――」
「……自分なんぞ身請けしたら、高橋の旦那様は何と申されますか?」
「―――――――っ……」
秋葉の一言に啓介の勢いがぐっとつまる。
啓介の家はこの辺り一帯でも有名な薬問屋である。いくら金があろうとも、そこの息子が色子を身請けするとなったら、どんな噂がたつのか。己のせいでこれまで築き上げてきた店の信用を地に落すのではないか。
秋葉はそれを恐れている風だった。
「…………親父は関係ねぇだろ………」
「とにかく、」
――――そんな事は、二度と口にしてはなりませぬ。
秋葉はそっと手を伸ばし、覗きこむ啓介の頬をそっと撫でた。
熱を帯びた手は、それでもどこか啓介を求めているような気がするのは気のせいだろうか―――――
「――――帰っていたのか」
珍しく夜半に自宅に戻った啓介は、渡り廊下で声をかけられて振り返った。
そこには啓介の二つ上の兄、涼介が脇に書物を抱えながら自室から出ようとしていた。
「あぁ――――」
「珍しいじゃないか。…………あの『秋葉』の所へ行ったんじゃないのか?」
障子をす………と静かに閉めながら、涼介は穏やかな声で問いかける。
この兄もまた、自分の弟が色街に出入りしている事は知っていたものの、もういい大人なのだからと特に口出しする事もなく黙っていた。いつもなら、如月屋に向かえば翌朝に戻る啓介が、今夜は珍しく夜半に戻ってきたのを不思議に思った涼介は、渡り廊下で俯き加減で立ち尽くす啓介をじっと見ていた。
「うん………行った、けど」
「……………」
「あいつ―――熱出しちまってさ」
だから今夜は止めたんだ、と続けた啓介の様子に何かを感じた涼介は、ふぅ……っと息を吐いた。
「啓介……今、茶を淹れてくるから、部屋に入って待ってろ」
そう告げると啓介は黙ったまま小さく頷いた。
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