第四夜







この色街とて、遊び方は娼婦のいる遊郭とはそう大して変わらない。


結局この日は啓介は「初会」だけで帰ることとなった。つまり、ただ『秋葉』と杯を交わす儀式のみである。当然、『秋葉』とは言葉も交わさず、ただその様を見つめるだけだった。


それでも啓介は他の男と同様、拓海の何かに心の奥底で惹かれるものを感じたのだろう。
きちんと手順を踏み、三日目には馴染み客として初めて拓海と話す機会を与えられたのだった。そして如月屋周辺では「あの高橋屋の次男坊が秋葉の馴染みになった」と、ちょっとした話題になっていた。







初めて啓介と二人で過ごす事となったこの日、拓海は少なからず緊張を感じていた。



馴染みとなってからも、その実啓介が見世に訪れたのは十日も経ってからの事だった。
今まではただ上座に座り、目の前の啓介をじっと見つめているだけ。
それでも、両側に新造を侍らせ、酒をついでもらい飲む間も啓介の視線はじっと拓海だけをとらえていた。
啓介が帰った後、新造達が「秋葉どの、高橋様は噂通りいい男ですなぁ」「しかもあの高橋屋のご次男でいらっしゃるし」とはしゃいでいるのに苦笑しつつも、拓海はそれを否定することはなかった。



啓介は今までの客とどこか違う。
そう思わせる何かを、啓介は持っていた。






拓海は髪結いに髪を結ってもらいながらも、動悸がわずかに激しくなっていくのを堪えるかのように、胸元を押さえる。鏡の中の拓海は無意識にその唇を軽く噛んでいた。

「…………どうされましたか?」

ふいに髪結いが鏡の中の拓海を心配そうに覗き込んだ。

「…………え?」
「何だか、いつにも増して……緊張されてるようですなぁ」

初老の髪結いはそう言って人の良い笑みを見せると、拓海もほっ……と小さく笑った。

「初めての客……ですからね……お気に召してくださるかどうか」
「それは大丈夫でしょう――――ちゃんと総振る舞いしたんだし。そうでなければここまで手順も踏みますまい」

最後の仕上げを終え、髪結いが笑う。髪結いは拓海がただ緊張をしているものとだけ思っているようだった。

「そうですよね………ありがとうございます」

座敷持ちの立場になっても、拓海はこういった下働きの者にも腰が低い。例え客から嫌な事をされても決して禿や世話をする者に当り散らしたりしなかった。そういった所は、拓海を陰で支える人々にも評判は良かったのだ。




身支度を整えた拓海は禿を携え、啓介の待つ部屋へと向かった。障子をす………と開け、三つ指をついて深々と頭を下げる。

「……………秋葉でございます……」
「………あぁ」

啓介の声を聞いて、拓海はゆっくりと顔を上げて部屋を見つめた。


新造に酒を注いでもらいながら脇息に寄りかかる啓介は、相変わらず拓海をじっと見つめている。その視線に肌がちり、と焦げるような感覚を覚えて拓海は知らぬうちにひとつ息をつくと、ゆっくり部屋に入っていった。


隣に腰を下ろし、徳利を傾けて啓介に差し出しながら

「どうぞ………」

と顔を見上げると、それまで動かなかった啓介が初めてグイッと顔を近づける。
間近に迫った男気溢れる顔に拓海は内心動揺するも、表面は崩さずに平然とした様子を見せた。

「…………本当に、男なんだな…」
「え………」

思わぬ言葉に拓海は目を見開き啓介を見つめ返す。その頬に啓介の手がそっと触れ、収まっていたはずの心の乱れが再び起こりだした。

「………今更、何を申されますか…………」
「頭ではわかってるけどな………今夜、改めてお前の声を聞いてそう思った」
「あぁ…………」

考えれば、拓海が啓介にまともに声を聞かせたのは今夜が初めてである。それまでは声も交わさず触れもせず、ただただお互いを見つめるだけであったのだから。

「黙っていれば男も女もわかんねぇ。………確かに、人気のあるのもわかる気がした」
「左様で…ございますか―――――

頬に手を触れたまま呟き続ける啓介の視線から少しだけ逃げながら、拓海は内心の動揺だけは悟られまいとそれだけに集中していた。普段ならそれは客との駆け引きの部分でもあるのに、啓介に対してはどうしてだか駆け引きが出来なかった。

しかしそんな拓海の内心など気がつかない啓介は、不意に手を離して再びお猪口に口をつける。
拓海はほっと安堵の息を漏らして、部屋にいた新造や禿に退室していい旨を伝えた。





彼ら達が出て行き二人きりの空間にしばしの沈黙が漂う。


ふいに啓介はお猪口を置いて頭を掻きだした。

「なぁ…………」
「………何でしょうか……?」
「ここまで来といてなんだけど―――――何か、まだその気になれねぇんだよな」
「………………」

啓介の紡ぎだした言葉に、拓海はしばしあっけに取られる。少なくとも『秋葉』は拓海の思いに反して、それなりに人気はあるのだ。その『秋葉』を目の前にして今だその気になれないと言う客は、啓介が初めてだった。

「それは―――――
「ん…………?」
「自分が相手では役不足、と言う事でしょうか」

僅かばかり声音が変わった拓海に、啓介の視線が戻っていく。
これまでに見た茫洋とした視線はなりを潜め、どこか意思の強そうな色が浮かびだしているのを見た啓介は、一瞬ゾクリとする。



案外、この『秋葉』は慎ましそうでいて、結構気が強いのかもしれないと啓介は思った。
しかしそれは敢えて隠して言葉を続けていく。少しずつ、少しずつ煽るようにしながら。



「………そうじゃねぇけど……やっぱり同じ男同士だし?だからと言って、別にお前に魅力がねぇとか言ってるわけじゃないぜ」
「では―――相手が男では勃つものも勃たないとおっしゃりたい訳ですね」
「…お前………結構ずばりと言うなぁ」

脇息に肘をつき、手の甲に顎を乗せながら啓介が楽しそうにくっくっと笑う。


こんなに拓海の表面を次々に剥がしていく客なんていなかった。
悔しい、とどこかで思いつつ負けず嫌いな一面が出てきたようだ。
拓海は啓介の前にあった膳をよけ、ずいっと前ににじり寄った。それでも啓介は口端に笑みを湛えたままでいる。




その余裕の表情を崩してやりたいと思う。





拓海の目に啓介が映る。
啓介の目にも拓海が映っている。





「………ならば、」

さらに拓海は近寄り、す……と瞳を細めた。唇が重なるか重ならないか、微妙な位置で。




―――男では勃たないかどうか、試してみろよ」




甘い吐息に似合わない言葉で拓海は啓介を挑発した。




今まで客に対してこんな口のききかたをした事はない。はっきり言って無礼にあたる。
この高橋屋の次男坊がこれで激昂して出ていけば全て終わりだった。それでも。
この男に対しては何故かそういう事はしないだろうという勘が働いた。

案の定、啓介は怒る様子はまったくない。
それどころか、楽しそうに目を細めながら、拓海の視線を絡めとって見つめていたのだった。






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