第二夜







――――――なぁ、ここって……色街じゃねぇの?」

日が暮れて明かりが灯り始めた、どこか妖しい街並みを歩く二人組の男達がいた。

「あぁ。遊郭は娼婦だけど―――こっちは男娼ってやつだ」

黒髪の男がくすくすと意地の悪い笑みを浮かべ、連れの背の高い男を見上げる。隣を歩く男は「物好きな…………」と呆れたように呟いて、着物の袂から煙管を取り出した。

「でもな、男ってのも一回手を出すと嵌るらしいぞ………せっかくだから試していけよ」
「…………いくらお前の親父さんの見世でも、んな気はさらさらねぇよ」


男は煙管を口に銜えながら周りを見渡す。




色んな見世があり、格子の中に煌びやかな着物を纏った色子達がいる様子は、まるで遊郭と変わりはない。男も遊郭ではそれなりに楽しんだし、結構な金を出して遊女をも相手にした事もあるからそれなりに遊びなれている。



ただこの格子の向こうにいるのが男娼となると、また話は違う。
男自身、普通に女を抱くほうが好きだし、わざわざ同じ性を持つ男に慰めてもらうほど困ってもいない。



男は少し茶色がかった髪を掻きあげながら通りを歩いていくと、ふと人だかりの出来ている見世に気づいた。

「なぁ、あそこの見世って………お前の親父さんのじゃねぇ?何であんなに人がたかってんだよ」
「あぁ…………『秋葉』だろ」

黒髪の男は何でもないように呟いて、さっさと歩いていく。そして後からついてきた男に、「ほら、見てみろよ啓介。いい色子なんだぜ………」と顎で格子の方をしゃくる。

啓介と呼ばれた男は胡散臭げに眉を顰めて、人だかりの後ろから何とはなしに覗き込み――――




動きを止めた。




何人もの色子が格子の中から媚びるような流し目で男達を見つめている中。
ただ一人だけ。




少し俯き加減で何も見ていないような、そんな目をした少年がいたのだった。




――――――おい、辰巳…」
「…………他の色子とは違うだろ」

啓介は自分の隣に立った辰巳と呼んだ男をチラリと見つめ、再び『秋葉』へと視線を向ける。

「『秋葉』…………ああ見るとまるで愛想のない色子だろ?ひやかしにきた客に流し目をするわけでもない。それでも、あれで座敷持ちだ」
「座敷持ち…………」
「ああ」
「あれでか……………?」

辰巳の言葉に目を見張り、啓介はじっと秋葉と呼ばれた少年を見つめた。座敷持ちと言えば、己の部屋を持ちながらも客を迎える部屋まで持っているという、遊郭の格付けではかなり上の方に当たるのだ。


(この、どこかぼんやりとした雰囲気を醸し出す少年が座敷持ちだって?)


啓介はにわかには信じられないような思いで、そのまま秋葉に視線を注いでいた。
ふと、何かを感じたのか、秋葉の視線がゆっくりゆっくりとあがっていく。




その瞳を見た途端に、啓介は、心臓を見えない手で鷲掴みにされたような感覚になった。




自分の方を見ているような、それでいて見ていない不思議な眼差し。その瞳に何故か自分だけを映して欲しいと思わせる何かが宿っていた。その、どこか己の独占欲を刺激されるのはどの客も一緒なのだろう、一瞬だけその場から喧騒が消えた。
そのうち、馴染みの客なのか人ごみの中をかき分けて歩いてきた男が秋葉に声をかけると、秋葉はそちらに視線を合わせてゆうるりと笑みを浮かべた。




それはまるで、明け方に咲く朝顔がそっとほころび始めたような控え目な笑みで、男達は思わずため息をつく。




二言三言男と会話を交わすと、秋葉はゆっくり立ち上がり、しゃなりという音が聞こえるような動作で格子の前から立ち去っていった。秋葉がいなくなって、男達は夢から覚めたようにようやくそこから散らばっていき、今だその場に残っているのは啓介達を含む数人の男達だけになった。






「…………すげぇだろ?」

未だ秋葉のいた場所をじっと見つめたままの啓介に辰巳がくすりと笑いながら尋ねた。だが啓介からは何の反応はない。

「……………………」
「啓介……?気に入ったのか?」
―――――い、や、そ…なんじゃねぇけど………」

辰巳の言葉にはっとしたように我に返り、啓介はくるりと踵を返して歩き出した。それでもどこか気になって仕方のないような、そんな啓介の隣に並び辰巳は顔を覗き込んだ。

「…………本当なら、秋葉を揚げる事ができるのは数週間先なんだがな。啓介がその気なら親父に話をつけてやってもいいぜ?」
「なっ……い、いいよ別に。俺はそんなつもりはさらさらねぇって言っただろうが」
「ふぅん…………そうは見えねぇ顔だけどな」

かなり気にしているみたいだがと、とことん突っ込んでくる辰巳に内心動揺しながらも、啓介はふと不思議に思って逆に辰巳に問いかけた。

「なぁ………何でそんなに俺に突っ込んでくるんだ?別に俺じゃなくてもいいだろ」

それにすぐには答えず、辰巳は啓介を追い越して歩いていく。その一瞬見た横顔がどこか辛そうなのに、啓介は思わず息を詰めた。

「…………何で、だろうな………」
「辰巳……………」
「何故か……啓介なら、あれを救ってくれるような気が、したんだ―――――

思いも寄らない辰巳の言葉に、啓介は目を見開いた。いつの間にか二人は色街の大門から出てすっかり夜の帳が下りた現実の世界へと戻っていた。

「お前―――――あの色子の事……」
「ちょっと違うかもな…………思いを寄せると言うよりは、早くこの世界から抜け出してもらいたい、のかも知れん」
「でもそれは、惚れてるってのと一緒じゃねぇの?」

何の気なしに啓介がそう言うと、辰巳はちらりと横目で啓介を見る。

「……………お前にはわからんよ」

どこか苦笑混じりで呟いた辰巳に、啓介は少しむっとしながら大通りへとざかざか歩いていく。何故か知らないが、辰巳があの秋葉の事で思うところがあるというのが少し気に食わなかった。


―――――何故気に食わないのかという事までは考えもしていなかったが。


「で?………秋葉と会う気はないのか」
「…………お前がそこまでいうなら会ってやってもいいぜ」

ムスっとしつつもそう呟いた啓介に、辰巳は小さく口元に笑みを浮かべたのだった。










抱かれた肌から、部屋から熱が引いていく。
行灯からジジ……と微かに蝋燭の燃える音だけが耳に入る。




自分を抱きしめて眠りに落ちている男の腕の中で、秋葉は目を閉じながら揚げられる前に見たあの精悍な顔立ちを思い出していた。
視線をあげた途端にあれほどの人ごみの中絡まった、野性的な瞳。明るめな茶色の髪に整った顔立ち。


一度見たら忘れられない強烈な何かが秋葉の体の奥深くをざわめかせた。


(確か……隣には二代目がいた………)


秋葉は隣に如月屋の二代目がいたのを思い出し、ならばあの男はいずれこの見世に顔を出すだろうと考える。そうしたら自分が相手をするだろうという事も。




そして自分があの男の腕に抱かれる瞬間を思い浮かべて―――――




その直後、秋葉は自分の体が驚くほどカッと熱を持ち始めたのに気がつく。

(な、ん…………)

今までになかった事だった。少ないけれど自分の元へ通ってきてくれる常連達の事を考えても、そんな風になった事は一度もなかった。なのに名前も知らない、一目見ただけのあの男を思い浮かべただけで体の奥底がジリジリと疼き始めている。



ごそっと秋葉が体を動かしたのに気がついた客の男が抱きしめていた手を緩めながら、ゆっくりと目を覚ました。

「あ………」
「ん……秋葉………眠れないのか…?」

半分寝ぼけながら尋ねる客の男に「申し訳ございません……」と詫びるが、ふと腰を這い始めた手の動きにはっと息を潜めた。秋葉の体の変化に素早く感づいた男の手が、腰から太ももへと滑らかにに滑っていく。

「…………どうした、体が…熱いな………」
「っ……………」
「まだ――――気をやり足りぬのか?こんなにして………」

そう呟き、襦袢の裾から差し入れられた手が自身にそっと触れると、秋葉は「ンッ」と声を漏らして男を見つめた。手が触れた秋葉のそこは、すでにゆるりと勃ちあがり始め、透明な液を零し始めている。

「ァ、…………」
「………お前は本当に……感度のいい――――

秋葉の首筋に唇を押し当てながら呟かれた言葉と吐き出された吐息に、秋葉はふるりと震えて腕をまわして口づけを求めた。男は体を起こし、秋葉に覆いかぶさってそれに答える。赤い舌が絡まりあい、唾液が口端を伝い、吐息が乱れだす。



(…………相手が誰だって……何も考えずに、ただ相手をすればいいだけの事。それ以外何もない――――



喘ぎ声を小さく漏らしつつ、秋葉はそっと窓の外へと視線をやった。





見つめる先には闇が西の彼方へと少しずつ消え始めようとしている空があった。






Next
Novel Top


inserted by FC2 system