第十一夜
その日は朝からぬけるような青空だった。
新しい門出の日にぴったりな陽気だと言うのに、拓海を取り巻く人々はどうにも素直に喜ぶ気にはなれなかった。
「…………他に荷物はないか、拓海…」
粗方片付いてしまった部屋を見ながら辰巳はそう言うが、その表情は苦虫をつぶしたようであった。
「はい……とりあえずは………」
客に出る時とは違う、下ろした髪をゆるりと結い、派手ではないけれど質のよい着物に身を包みながら拓海はうっすらと笑った。
しかしその笑みは本物ではない事に気がついている辰巳は、その笑みに笑い返す事はせずに部屋に入るとドカッと腰を下ろした。
「拓海………本当にいいのか?啓介を待っているんじゃなか、」
「二代目…もう、そのお名前は口になさらないで下さいませ」
「拓海――――」
拓海は辰巳の言葉を遮ると、うっすらと笑ったまま窓辺に寄りかかる。
外では「秋葉」の請け出しを一目見ようと、大勢の客やら近隣の見世の人間が集まり始めていた。自分はこの人々の間をぬって、あの赤い大門の外へと出て行くのだ。
ただし、心は啓介と交わったこの部屋に残して。
これから拓海は、心のない骸を山野屋へと運んでいくのだ。
「………そろそろ、惣仕舞いのお時間です、秋葉殿」
拓海の元で拓海を慕ってくれた新造が、襖を叩いて呼びに来たのを聞いた拓海はすっと立ち上がった。これから山野屋と共に大座敷で、店の連中と共に請け出しのお祝いをするのだ。
そして店の内外で大勢の人々に見送られて、山野屋と一緒にこの如月屋をあとにする。
拓海が襖を開けると、呼びにきた新造が半分泣きそうな顔に歪んでいた。
「…………」
「…………そんな顔、しないで―――」
拓海はふっ…と笑うと、目の前にしゃがみこんで新造の顔を覗きこむ。その言葉と拓海の表情に、新造はぽろっと一粒涙を零して俯いてしまった。
「あんな――あんな汚い手を使った山野屋の所に…秋葉殿が請け出されてしまうな、んて……」
「そんな事…言っちゃいけない。――自分の父を、救ってくれるのだからありがたいと思っているよ」
新造の言葉にゆっくり頭を振ってたしなめた拓海は、立ち上がって着物をバサっと翻した。その表情は、今までの物憂げな色はなりを潜め、決意が露になっていた。
その表情を見た辰巳は、悔しげに顔を顰める。
「行きましょう………山野屋の旦那様がお待ちですから」
凛とした拓海の声が、部屋に響いた。
「おい、あれ…………」
拓海が寄りかかっていた窓辺から離れた直後、『秋葉』の請け出しを見物に来ていた男が肩を押され、よけながら振り向くと目を見張った。その様子に気がついた周りもそちらに視線を向けてざわざわと騒ぎだした。
「まさか……横やりをいれにきたのか?」
「と言うか、嫁を取るという噂がなかったか?あの噂はどうなったんだ――――」
そんな人々の好奇の視線も我関せず、一人の男が祝いムード一色の如月屋へと向かっていった。
「二代目、二代目っ…………」
大座敷で店中の色子や新造達、お付きの者までが大判振る舞いされているのを遠目に見守っていた辰巳の元へ、見世番の男が慌てたように顔色を変えて走ってきた。
「どうした…………」
「た、高橋様が………高橋様が見えてます…っ」
「………何だって?」
何故、今頃啓介が――――そう言おうとして辰巳はふと辺りを見渡し、誰も自分達に意識を向けていないことを確認して、男と共にそっとその場から離れ玄関へと向かっていった。
辰巳が玄関に下り立つと、あがりでこちらに背をむけて腰かけている男の姿が目に入る。
「――――辰巳か?」
「…………啓介……何、待たせてんだお前は……」
「悪ィな、思ったよりも時間かかっちまってよ」
そう言って立ち上がると、煙管を銜えたままニヤリと笑う啓介が振り返った。
約一年ぶりに見る啓介は、以前よりも精悍さを増し大人としての余裕が表れていた。
その姿に辰巳は、はぁ……とため息をつき、顎で奥をしゃくる。聞こえてくる賑やかな笑い声に啓介は草履を脱いであがり、歩きだした。
「お前――――身請け代はどうした………」
「後からうちのモンが持ってくる。少なくとも…山野屋以上の金は出せるぜ?」
肩越しにちらっと辰巳を見た啓介は、不敵な笑みを浮かべて賑やかに太鼓や笛の音が聞こえてくる大座敷へと足を運び出した。
啓介が大座敷まで歩いていく途中に彼を見た見世の人間達は、皆一様に言葉を失い啓介の背中を見送っていく。やがて大座敷にいる色子や新造達がその姿に気がつき一斉に上座を振り返った。
啓介がその視線を追えば、その上座には酒を注がれたまま啓介の姿を見て動きが固まってしまった山野屋と、その隣で少し俯き加減で座っている拓海がいる。ふと静まり返った周りの様子を不思議に思ったのか、拓海がゆっくりと顔を上げ、啓介の姿を視界にいれるとその大きな瞳をさらに見開いた。
啓介は足を止め、まっすぐにそんな拓海を見つめた。
「秋葉―――――――」
低く、でも通る声で啓介は拓海を呼んだ。
「っ、な、何しに来たんだ高橋屋…………っ、ここは貴様が来るような場所ではない、さっさとうせろ!」
「何って………決まっているだろ?秋葉を身請けに来た」
怒鳴りつける山野屋を一蹴する啓介の言葉に、その場が一斉にざわめく。そんな中拓海だけは身じろぎもせず、啓介の姿をその瞳でずっと見つめ続けていた。
「ふざけんな……大体、貴様のような若造に、秋葉を請け負うだけの金をどうやって――――」
「ンなこと、てめぇに言う義理はねぇだろ。………親父さん」
啓介はすっ………と拓海から視線をずらし、如月屋の主人を見つめた。辰巳の父でもある、如月屋の主人もまっすぐ啓介を見つめ返していた。
「今、俺の下の者が秋葉の身請け代をここに持ってきている。辰巳には話してあるから、確認してきてくんねぇかな」
「…………少なくとも、こちらの山野屋さんよりは積まねぇと秋葉は身請けさせないぞ?」
「積んでるか積んでねぇかは……親父さんの目で確認してくれ」
啓介が笑みを浮かべると、如月屋の主人はすっくと立ち上がり、大広間から出て行った。その姿に慌てた山野屋は再び啓介に怒鳴りたてる。
「き、貴様………嫁を取るとかという噂が流れていたじゃないか!何を今更秋葉を身請けなどと――」
「…………どこの誰が流したか知らねぇが、とんでもねぇ迷惑被ってンだよこっちは」
煙管を銜え、ゆっくりと吐き出しながら啓介が忌々しそうに山野屋を睨みつけると、男はビクっとしたように肩を揺らして目を逸らせる。と、それまでずっと黙ったままだった拓海が何度か睫毛を瞬かせながらゆっくりと口を開いた。
「……迷惑………?」
「………ありもしねぇ噂を流された、て事だ」
「え………では………」
「俺は。秋葉を身請けしたいと思ってここまできた。秋葉以外に…考えられねぇってのに、嫁なんか取るつもりはさらさらねぇ。恐らく誰かが………適当な事を広めた」
そういうと、啓介はドカッとその場に腰を下ろして片膝をたてて壇上の拓海を見つめた。拓海もまた、そんな啓介から視線を外す事ができないでいた。
二人の間を漂う空気に、辺りが一瞬静まる。
それは、あの時、初めて啓介と拓海が出会ったときのように――――
「――――来いよ、秋葉」
「…………」
「俺が、お前を………自由にしてやる。もう、男娼なんてさせねぇ。これからはずっと…俺の隣にいてくんねぇか?」
「…………」
「あ、秋葉っ!お前――――」
山野屋の悲鳴を聞き、啓介は口端に笑みを浮かべて再び立ち上がった。拓海がゆらりと立ち上がり、壇上を下りて一歩、また一歩と啓介に近寄ったからだった。 そして、啓介は何故か懐に手を入れる。
拓海はそんな啓介の元へ歩いていく。
啓介の、差し出されたもう片手に拓海の白い指先が伸ばされて触れた――――
その瞬間、啓介はグイっと拓海の手首を掴み、自分の腕の中へと抱き込んで懐から手を出した。
それを見ていた人々から悲鳴が一斉にあがる。
啓介の手には、短刀が握られていたのだった。
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